「チーム・バチスタの栄光」 海堂尊 ★★★★
---宝島社・06年、このミス大賞、文春3位---

心臓移植の代替方法バチスタ手術で奇跡的な成功率を誇るチームバチスタが三例連続の術中死。
病院側から内部調査を依頼された出世欲ゼロの田口講師、曲者揃いの関係者へと聴き取りを
始めるが、なかなか証拠をつかめない。そこへ変人役人の白鳥が現れ引っ掻き回し始める。

あぁおもしろかったと素直に言える本書。成功しているのは医療現場ならではの設定、手術中なんて
衆人環視の密室ですからね。さらに強烈個性のキャラが最高。カリスマ的なリーダーの桐生をはじめ
助手や麻酔士たち、さらに探偵役の白鳥や田口講師までわかりやすい。なんせ前半のほとんどが
事情聴取だけにもかかわらずグイグイ読めちゃう。助手が別の助手の力量を疑ってたり、麻酔士と
臨床工学士が信頼しあってたり、器械出しの看護士が変わった途端に術中死が増えて悩んだり
個々の関係図がわかりやすい。でもシビアになりすぎないユーモアのセンスがある。うまいこと混在した
文章なわけです。白鳥のキャラが島田荘司が生んだ変人探偵の御手洗潔にソックリでちょっとアクが
強すぎるのが気になったけど、逆に一般読者を巻き込む楽しさだと思う。病院を扱った具体的な
舞台設定の見事さと軽い文体は相性抜群。あとは謎解きさえしっかりしてりゃ良かったのに。
それ推理じゃないんじゃないの、とズッコケたさ。犯人とか手口とか、真相がなんか普通だし。
全然シリアスじゃなく驚きも薄いからバカパク(9・4)属性かな。
「午前三時のルースター」 垣根涼介 ★★★☆
---文藝春秋・00年、サントリーミステリー大賞---

旅行会社の長瀬は知り合いの会社社長に頼まれて、社長の孫のベトナム旅行に同行する
ことになった。どうやら孫はベトナムで四年前に行方不明になった父を探すつもりのようだった。
父親らしき人物があるテレビ番組にチラリと映っているのを見たためだった。

デビュー作のようだが文章力は抜群だ。かなり読みやすいし展開の早さもいい。キャラ達が
個性的で魅力的に映ります。タクシー運ちゃんのビエンも売春婦のメイも何となくくっついてきた源内も
みんな好きになってしまうな。五人の距離感も心地よくてうまい。キャラの良さのせいかマフィアが
絡んでも陰惨な内容にならないのが特徴なんでしょうね。この空気感と読みやすさは魅力だったのだが
肝心のストーリーがそれほど好きじゃなかった。ハラハラさせられるし伏線も上手くまとまってるんだけど
謎の連中に追われるなどどこかで見たような展開に思えて地味に収まった感じがしてやや物足りないかな。

「対岸の彼女」 角田光代 ★★★★+
---文藝春秋・04年、直木賞、本屋大賞6位---

専業主婦としてモヤモヤしていた小夜子は働きに出ることを決意する。旅行業をしている葵のもとで
新しい掃除業務を手伝うことにした。業務にも慣れ、開けっぴろげな性格の葵に心を開いていく小夜子で
あったがやがて距離を感じるようになる。そして葵は高校時代に騒動を起こした過去を持っていた。

こいつぁなかなかいい小説ですなぁ。長女あかりの成長も一段落ついて平凡な日々に焦燥感を抱く
内向的な主婦が、大雑把な働き者の葵に憧れにも似た「いいな」と感じるまでで既に文章がうまい
せいかスイスイ入っていけた。働いているという実感もあった小夜子は、葵とすごく近づいたように
感じていたのに「主婦だから」と気を遣われ溝ができたような気がしてしまうし、立場の違いを感じて
また離れたりわずかのことで溝を意識するのも共感してしまうなぁ。物語としては小夜子が働くことに
慣れていくと並行して、葵の高校時代も進む物語である。いじめられないように立場を気にする葵が
現在の葵と逆だし、葵の友人ナナコのほうが今の葵のように明け透けな性格をしている。
「いじめられるのは怖くない。そこに大事なものはないんだ」って強がるナナコと強がりさえ言えない葵の
友情が何だか良かったですね(←すごい漠然)。二つとも描かれるのが友情というやつである。
人との関わりは煩わしさと嬉しさと、隣にいる人が実はもう対岸にいるのだと知ってしまう怖さが
混在してるから覚悟がいる。その距離感が絶妙に描かれてる。小夜子が「なぜ人は年齢を
重ねるのだろう」と自問するところが痺れました。やるじゃないか。シブ知(8・8)
「人生ベストテン」 角田光代 ★★★
---講談社・05年---

四十歳を目前にした私に同窓会の通知が届いた。四十年生きたという達成感も実感もなく子供の
頃のままの私。人生の事件ベストテンを並べてもこれといって何もない。その第一位である
二十五年前の恋の相手に会いに同窓会へ向かい彼・岸田と会うのだが…。六編の短編集。

人間は誰しも積極的に何事かを選択して人生の舵取りをしてきたわけではなく、多くの人が流されて
気づいたら今の自分になっていたという感覚を持っているはずだ。わたくしも気づいたら二十代も
半ばを過ぎ…とそんな話はいいですか。他の短編集でも、ずっと続いてきた恋人とこれから別れるのか
続けるのかも先延ばしにして逃げる女性などが描かれ、消極的なタイプの人間が人生を漂ってきて
ふと振り返った時の困ったような寂しいような感じが多かった。その他は旅行中の飛行機で女性から
身の上話を泣きながらされた男が、帰国後も気になってもらった名刺から女性を訪ねたりするけれど
ストーカー扱いされてしまう話だとか、仕事中の何気ない出会いからおかしなドラマが始まる物語など。
まぁ人生とはそんなものなんでしょうな。他人と違う波乱万丈な事件など存在せず、いろんな事情を
抱えた人とふとすれ違ったりするんだけど決定的な事件とはなりえない。登場人物たちが消極的な
人生にもやもやしているので読んでてあまりスッキリする内容ではなかったですね。
でもそんな「フツー」な人達だから身近に感じられるのかもしれない。シブ知(7・2)
「八日目の蝉」 角田光代 ★★★★
---中央公論新社・07年---

一章…不倫をしていた相手の正妻の子供を見に行き、衝動的に持ち逃げしてしまった希和子は
宗教団体や小豆島などを数年にわたり逃亡を続けた。しかし偽りの生活にも終わりは来る。
二章…希和子から両親の元へ戻った娘も大人になった。人とは違う境遇に疲れながらも。

ダメ男に惚れるのも不倫も堕胎も持ち逃げも最低だが、子供との逃亡生活における愛情は
本当の親子のようで優しい。唯一そこだけがまともな点と言えそうである。逃亡劇なのでスリルは
あるが全体的には何となく穏やかな物語でもある。逃亡してる先々で都合よく暮らせて、続けば
続くほどに終わりが来ることをどこかで怖がってる、そんな感じ。娘のことや両親のことを考えれば
最低な行為なのだが、希和子の必死さを読まされると哀れにも切なく思える物語なのである。
後半の二章は一点、娘側から。「本当はこうじゃなかったかも」と今の場所を受け入れられない
自分や両親の姿に、事件を振り返りながら気づいていく。つらい時にこそ自暴自棄になったり
誰かを憎んで楽をしようとしてはいけなくて、八日目を見てるんだって思えることが大事なんだって
メッセージが溢れた後半だった。二人の母親のラストのすれ違いシーンが素晴らしい余韻。
「対話篇」 金城一紀 ★★★★
---講談社・03年---

三編の中編集。『恋愛小説』→子供の頃から周囲の人間が次々と死んでいくため<死神>と
呼ばれ孤独に生きてきた男は、運命の恋人と出会った。彼女を殺すことを恐れ親密になることを
避けていたが、やがて二人の距離は縮まっていく。彼の死神の運命は彼女に襲い掛かる。
『永遠の円環』→余命がわずかとなった僕は、死ぬ前に恋人を死に追いやった者を殺そうと考える。
そこで病室を訪れた顔見知りのKに持ちかけるが、Kは「君には殺せない」と言う。そして真実は意外な
正体を見せる。『花』→脳にある動脈瘤の手術に踏ん切りがつかないでいた僕はあるアルバイトを受ける。
昔妻だった人の荷物を引き取るため鹿児島のホスピスまで車で走破する教授の付き添いであった。
思い出せない妻の記憶を僕に話すことで教授は手繰り寄せる。そして物語も旅も終点に到着する…。
三編ともに「死」を意識した者達による物語なので、寂しい悲しい系を好まれる方に向いているかな。
しかし『恋愛小説』『花』は喪失と孤独に包まれていながら、それらを肯定する力強さを獲得している。
失うことは得ることでもあるのかもしれない。そんな風に思わせてくれた。会話や旅を通した連帯感が
温かいし寂しい話のわりに後味も良かったな。物語の展開と思考の展開のバランスが上手な作品。
『永遠の円環』だけちょいミステリっぽいかも。シブ知(8・7)ですかな。
「コッペリア」 加納朋子 ★★
---講談社・03年---

な〜んか私の苦手な折原一のミステリみたいなんである。人形に惚れこんでしまう男と
人形の作者、人形にそっくりな劇団員らの視点から描かれて徐々にそれぞれの関係性や
全体像が浮き彫りになっていくのであるが物語自体がたいして面白くないというか、らしくない。
作者の良さである温かみのある物語とそれに花を添えるトリックという感じがしない。
まずトリックありき、で人物は血が通ってないみたい(まさに人形っぽい)だし…。
全体に不気味さが漂っているし日常さとは対極の暗さがある本書は作者にとって
意欲作なのかもしれないが、ファンとしては嫌な印象を持つ人が多いんではないかと。
「贄の夜会」 香納諒一 ★★★★
---文藝春秋・06年、このミス7位---

<犯罪被害者家族の集い>の参加者二名が凄惨なやり口で殺害された。一人は手首を切り取られていた。
そして被害者の夫・目取真渉が指紋ひとつ残さず姿を消していた。一方で被害者会に出席した弁護士が
19年前の少年事件の犯人であることも判明した。正義漢の刑事、闇の世界のプロフェッショナルと思しき
目取真渉、警察の腐敗、暴力団抗争、元・少年犯、そして猟奇殺人…すべてが一体となって動き出す。

いろんな素材が詰め込まれてお腹一杯だ。もう少し絞ってほしかったくらい。久々に読後は疲れた。
警察小説の側面を持つサスペンス・ハードボイルド小説って感じかな。19年前の少年事件の際に、
犯人が言っていたのが「僕には透明な友人がいる」という言葉。当時は内面の話と思われたが、今回の
事件でアリバイのある元・少年犯には実際にそんな関係の≪友人≫がいて、今回の事件にも関わっている
のではという疑念が物語の中核だ。刑事は、元・少年犯と、消えた目取真渉、そして捜査を邪魔立てする
公安にも頭を悩まされどっから説明したらよいものかわからん話なのである。その一方で不幸な過去を持ち
裏切り裏切られの闇世界に生きるスナイパーが私憤で復讐に乗り出す男臭い物語も始動。決して寄り添う
ことのない三つ巴である。終盤なりゆきで二人が行動することになるのだが、相容れないんだけどいい相棒
みたいで嬉しくなってしまった。難を言えば、無理に事件を起こして盛り上がりを作ること。別に死なんでも
っていう人がいたり。それに犯人が簡単に人を操ったりするのは納得いかない。結局何がしたいのかも
いまひとつ…。詰め込みすぎてまとめにくかったのかな?しかし終盤の畳みかけはすごかった。
明け方まで読まされてしまった。ハードボイルド好きにはオススメのはずだ!
「第四の闇」 香納諒一 ★★★
---実業之日本社・07年---

ネット心中により妻を失いアル中になってしまった主人公は、知り合いのライター・小杉の胴体のない
バラバラ遺体を発見する。同様の事件は数件起こっているらしいのだが…。主人公の元には謎の
人物から「過去を見つめろ」という電話がかかる。一連の事件はネット心中と関わりがありそうだ。

微妙。人が死にすぎてるんだろうなぁ。心中が二回あって他に過去の事件も絡んでてさ。
そんで何で主人公の元にわざわざ電話を入れてくるのか釈然としないわぁ。衝撃的な胴体のない
死体群もそうだが、読者の興味は引けただろうがそんなに意味がないし…。すごくスピーディーな展開で
いい年のオッサンが若者と組んで調べるんだけれども、何だかごちゃごちゃして何がしたいんだか
よくわかんなかった。意外な犯人像とか驚きのラストシーンとか部分部分は興味引くのにな。ちょっと
やっつけ感がありますな。もっと単純な話で良かったんじゃないのか。主人公と一緒に酒を飲む猫の
マイケルの件が何か事件に絡んでるんじゃないかと思ったが…ただ可哀想なだけじゃないか。
仕事である古本の山と猫と暮らす主人公に親近感を持った自分が馬鹿だった。バカサス(5・4)
「ステップ」 香納諒一 ★★★★
---双葉社・08年---

弟分である悟が清瀧会の人間を刺して女を連れて逃げてきた。盗人時代の能力を生かし悟を
逃がすことにした斎木だが、なぜかどこまでも追ってくる暴力団に仕事中に死んだはずの女まで
絡み追い詰められた斎木は命を落とす。しかし死ぬ度にわずかの時間が戻ってしまうのである。

一つの事件を繰り返すことで、危機を回避し様々な可能性を排除していくことで複雑だった
事件の全容が徐々に見えてくるというタイプである。他にも西澤保彦「七回死んだ男」や
北村薫「ターン」がリプレイものとして挙げられる。本書ではわずかな時間しか戻れないので
最悪の手段だけ変更するのでそれほど再読の面倒さは少ない。斎木が別の手段をするたびに
腐れ縁の刑事や馴染みの医者らが巻き込まれてしまうし、二重三重になった真相まで気づけずに
結局は斎木自身も命を落とすのだが、少しずつ先に進み、死ぬことで情報が見えてくるのだ。
しかしゆっくりと考えるヒマも無い危機の連続と軽快なアクションが飽きさせない。語り口は
ハードボイルドなんだけど軽さと疾走感のある物語になっている。馴染みの刑事や医者や
昔のパートナーとの露骨に言わない信頼関係みたいなのも男臭くて読んでて楽しい。時間逆行に
関してはあまり追及されないのでそういうことが起こってんだなぁくらいに思って読みましょう。
この読みやすさにはバカサス(8・8)くらいは進呈したい。軽いノリだから気にならないけれど
現実だったら死の苦痛を何度も味わうのはきっと耐えられないだろうなぁ。
「神様」 川上弘美 ★★★★
---中央公論社・98年、パスカル短編文学新人賞、ドゥマゴ文学賞---

九編の短編集。「神様」→三つ隣に越してきた「くま」と一緒に私は散歩のようなことをしている。
川原まで歩いていき弁当を食べた。「花野」→事故死した叔父が私の前にふらりと現れる。しかし
話すうちに本心でないことを言うとあちらに「還る」らしい。叔父は時を置いて何度か現れるのだが。

何とまぁいろいろな話があった。梨畑を手伝っていると現れた小動物との交流を描く「夏休み」や、旅先で
人魚を手に入れ持ち帰った隣人が人魚に魅入られてどうしようもなくなり私の元に人魚を預けに来る「離さない」
など様々。熊・河童・壺の女など魅力的な登場生物が多くいて全体的に童話の感覚に近い。死んだ叔父の
来訪は寂しい内容だし人魚に魅入られるのは他の人が書けば怖い話だろうけども、作者が書くとどんな話でも
淡々とほのぼのとしていて、不思議なことが不思議と感じられずに日常と一体化してしまう。そのゆるさが
気持ちいい。私の好みは『くまにさそわれて散歩に出る。川原に行くのである』で始まる冒頭と巻末のくまの話。
人間世界にやってきて生活するくまが想像するとおかしいし、故郷に帰っても一生懸命な手紙を書いてくる
くまが妙味だ。一編一編は短くあっさりだけどどれも印象的、ゆるやかな作者のエッセンスを感じる
短編集だ。初心者にもファンにも薦められる一冊。中盤の三編だけイマイチだったけどおまけで四つ星。
「センセイの鞄」 川上弘美 ★★★★
---平凡社・01年、谷崎潤一郎賞---

37歳のツキコが飲み屋で飲んでいると、隣に座っていた70ほどの男性が「大町ツキコさんですね?」と
声をかけてきた。思い出してみるとそれは高校時代に国語を教わった教師なのであった。その日から
しばしば会うことが増えた二人。互いに距離を保ち付き合う二人だが目に見えぬほど緩やかに近づいていく。

独特の距離感がある作品だった。頻繁に連絡を取ることもなく偶然会うのを待って何となくどこかへ
行くことになって、なりゆきのまま過ごしてるようなゆるい距離感だ。文章や二人の会話も同様で
「センセイ、これ」「何ですか」「卸金ですね」「卸金です」「くださるんですか」「どうぞ」…実にゆるい。
そのゆるさが心地よくて暖かくて、ときに間が抜けてて面白い。巨人(野球の)が好きか嫌いかを巡って
ツキコさんがむくれる章なんておかしい。そんな具合に茫漠な二人の茫漠な時の過ごし方がじわじわと
沁みこんでいくような柔らかさだ。一つ一つはホントに他愛もないけど振り返れば大事な思い出として
まぶたに蘇ってくるような後から来る良さ。<燃え上がる恋とは正反対の恋の形ここにあり>という感じだ。
二人の関係が浮世離れした仙人みたいだった前半に比べ、後半は二人がいい関係になり恋心も見えて
仙人感(なんだそりゃ)が薄れたようで個人的には魅力減かな。同じ波長の二人が一つ一つの時間を
大事に積み重ねるような大人の恋を読むにはひょっとしたら自分はまだ若いのかもしれないとも思った。
「パレード」 川上弘美 ★★★
---平凡社・02年---

「昔の話をしてください」とセンセイが言う。そうめんを食べ終わったツキコは横になりながら
小学生の頃に自分の周りで起こった話をし始めた。朝起きると二人の天狗が自分にくっついてくる話だ。

↑「センセイの鞄」のオマケ作品だ。挿絵つきでP70しかないからあっという間に読了(これで950円…)。
前作同様二人の会話のゆるい間合いがわかる文章だ。作中で語られるツキコさんの昔話は童話といった
感じか。変てこでおかしいようで不思議な話。天狗と言いつつ挿絵が全然天狗じゃないところも笑える。
短いので語ることも少ないけどゆるい空気は健在。「センセイの鞄」が好きな人はこちらもどうぞ。

「古道具 中野商店」 川上弘美 ★★★★☆
----新潮社・05年--
-
古道具屋で働く私ことヒトミ。「だからさぁ」が口癖の飄々とした店主と、店に入り浸りの姉の
マサヨさん。「〜す」が口癖の無口で頑固なタケオや珍妙なお客達。変な商品が来たり誰かの恋が
始まったり終わったり。緩やかな時間が流れてる。私とタケオも距離が近かったり遠かったり…。

めっちゃおもろ〜い。骨董じゃなくて新品でもない古道具屋という商売のごとくにゆるい雰囲気が
漂うエピソードに会話。 電話の横にあるメモに色違いのペンで中野さんが文字書いてたり
カメの文鎮が売れ残ってたりする仕事風景なんかの描写なんかもすごく味わい深かったし、
大したことでもないエピソード満載で飽きる暇もないし、ずっと続いてほしいなあと思える微笑ましい
日常生活の気持ちよさ。中でもヒトミとタケオのゆるい関係がもどかしくて楽しい。熱い恋愛じゃ
全然ないんだけどリアルな質感が逆におかしみを誘ってる。例えばタケオが何か怒ってて、
ヒトミも腹が立ってくる。タケオはお店でも無表情でそそくさと帰っちゃう。ヒトミはイライラするんだけど
やっぱり嫌いになれなくて、でもある時ちょっと会話したら少し元に戻って、そしたら今まで二人の仲に
触れもしなかった店主が「あれ、仲なおり、したの」なんて聞く。何か絶妙に間とかがうまい。
不思議現象は起こらないので世間的に評価の高い「センセイの鞄」っぽい感じだけど私は
こっちのほうがツボ。個人的にはタケオがおもしろくて好きだなぁ。ケンカしたら「名字でしか
呼びたくないす」というほどわかりやすい頑なさだ。ボソッと「大丈夫す」とかマネしたくなる。
「クリムゾンの迷宮」 貴志祐介 ★★★☆
---角川ホラー文庫・99年---

目を覚ますと奇妙な岩山の中にいた。傍らに置かれた携帯ゲーム機によるとチェックポイントを
クリアしていきゲームを終わらせなければならないらしい。危険が伴う状況、他の参加者を交えて
情報・食糧・武器を巡って生死を賭けた凄惨なゲームが始まる。このゲームはいつ終わるのか?

いきなりサバイバル環境に置かれて競い合うというスリル満点の内容で面白かった。分岐点で
間違えると死んでしまうゲームが現実になった怖さでハラハラさせられる。特に自分だけ生き残ることに
何とも思わない登場人物が怖すぎ、生きた人間を「弁当」と呼ぶのは狂気だ(笑)。このゲームの主催者と
目的は何かという謎も魅力だが、生き残るための逃走劇や騙しあいで読まされてしまった。こんな状況
実際に入るなんて絶対嫌だな、誰か潰さなきゃ終わりさえ見えないなんて…。ゲーム感覚と生々しさが
混同してて怖い夢を見たような小説だった。真相もだけどところどころスッキリしないのが消化不良〜、
面白いのになぁ勿体無いなぁ。でも十分怖くて楽しめる。こういうの好きな人なら文句無くオススメ!
「硝子のハンマー」 貴志祐介 ★★★★
---角川書店・04年、このミス6位---

六本木にあるビルの最上階で会社社長が殺された。その部屋の前には監視カメラがあり
会社があるフロアにも侵入が難しい状況。唯一実行できる容疑者がいたが犯行を否認。
容疑者以外にとっては密室。弁護士の純子は容疑を晴らせないかと防犯のプロに依頼する。

正直密室ミステリというのは好かない。アリバイや足跡のトリックとか色々な手法があっても
似たり寄ったりな感じがするからだ。しかし本書は結構面白かった。場所がビルの最上階であり
高性能カメラで記録されていたり密室の中にハイテク介護ロボットが置いてあるという現代的な
点が今までありそうであまりなかった。小説の前半ではこの密室を暴くトリックが幾つも考察されて
いくのだが、ここが一番見所だった。入れ替わりや専門的なトリックなどおもしろ(トンデモ)トリックが
いくつも出てくるのだ。結局違うのだが次々出るトリックはミステリファンには楽しい。…で、後半から
犯人からの視点で描かれ犯人のこれまでと犯行状況が語られるわけだ。個人的には後半はイマイチ。
いろいろ書いても結局はうすっぺらい犯人像にしか思えないし、同郷の女の子なんて何のために
登場したかわからない。トリックの部分もわかりにくい箇所があったし、完成度という意味では
従来の貴志作品と比べると見劣りする印象なので期待しすぎないほうがいいかも。
…と、なんだかんだ言ってますが現代密室の細かさが新鮮でグイグイ読めた私であった。
「狐火の家」 貴志祐介 ★★★★
---角川書店・08年---

四編の短編集。唯一の出入り口に足跡のない密室で殺された少女、ロックされたホテルの一室で
刺殺された将棋棋士、ペット飼育部屋で死んだ男。なぜか密室絡みの事件を頼まれてしまう
弁護士の青砥純子は、ほとんど泥棒なんじゃないかと胡散臭く思っている防犯のプロ・榎本を呼ぶ。

『硝子のハンマー』シリーズ。前作を読んでだいぶ経つし覚えてなくって、こんなに軽いノリの
シリーズだっけと思った。青砥の天然っぷりと榎本の胡散臭さでユーモラスに展開するんですよね。
トリックや展開の意外性もあるし読みやすくて楽しかった。最近こんな堂々と「密室やりますよ〜」という
ミステリも少ないし今時逆に新鮮かも。作品中一番強烈なのが『黒い牙』であろう。恐ろしげなペットが
大量に部屋にいるという想像だけで気持ち悪いが、どうやら一匹逃げ出しているらしいし虫嫌いには
ドン引きホラーである。おまけに使われるトリックがもっと最低である。そのペットを使った残忍な手口は
もはや映像化禁止のグロテスク映像である。小説でしか読めない衝撃は一読の価値ありかも(笑)
あと『盤端の迷宮』は将棋好きにはオススメ。最近は将棋のソフトも強くなってきてますが、そんなソフトを
使った将棋界の不正が物語の展開に関わってきます。ちょっと密室の論理がわかりにくかったけど
トリックと物語の両方を絡めた作者の力量を感じる一編。ただ最後の『犬のみぞ知る』は劇団員が
殺される話で、短い書き下ろしなのだけど、ユーモアというより悪ふざけに近くなってつまんない。
オマケとはいえ本書自体のイメージを損ねてる気がするんだけど…。バカパク(9・6)だす。
「新世界より」 貴志祐介 ★★★★+
---講談社・08年---

遠い未来。人間は呪力を操れるようになり、バケネズミら他の生物と共存した世界を作っていた。
呪力は他の人間には使えない仕組みになっており、欲望や攻撃性を廃した人間だけが生きていた。
しかし突然変異で生まれる、他者を呪力で殺せる人間「悪鬼」や呪力の暴走が起こる「業魔」が度々
世界を脅かした。そしてまた一人の悪鬼の誕生がバケネズミ界と人間界の血の戦争を生み出した。

上巻はこの世界の紹介っぽくなっていて、呪力を習う学校に通いながら結界の外を探検してバケネズミの巣に行ったり
悪鬼や業魔、大人が隠す世界の仕組みなどがチラホラわかってきます。新たに生まれた生物の解説などが細かく描かれて
リアルに想像できて良い。不浄猫やミノシロモドキ、カヤノスヅクリ、呪力の達人鏑木肆星など一つ一つの設定が魅力的に映った。
ところが下巻に入ると殺伐とした感じになって大戦争になりました。引き続き新種の生物類は紹介されるけれど、生物兵器や
地下に住む気持ち悪い虫だらけでちょっとげんなりしてしまいました。でも終盤の怒涛の展開はすごかった。目があっただけで殺される
悪鬼からの逃走劇は手に汗握って怖すぎ。さすがホラーも書ける作家である。しかし本書でもっともインパクトがあるのが
やはりバケネズミ。基本的には人間の従ってるけど知能は高い。時に助けられたり、力を持つ人間を利用したり、油断ならない
隣人という感じがすごく良い。最後にバケネズミの存在の真実に驚かされ、正しいと思っていることの危うさや矛盾を突きつけられ
おかしな感傷に包まれてしまいました。基本的にファンタジーの冒険譚でありながら重い後味も持っている(いい意味で)。
展開が少なかったりあれって何だったのかなぁと思ったり手放しで褒められないけど他の誰かに読んでほしくなる強烈な
濃さを持つ世界に浸った一冊だ。オススメしたい。(個人的にはやはり奇狼丸カッコよくて好きだぁ!)
 「悪の教典」 貴志祐介 ★★★☆
---文藝春秋・10年、このミス1位、文春1位---

高校の英語教師・蓮実は同僚からの信頼も厚く、生徒からは絶大な人気を誇っていた。しかし蓮実は、その地位を得るために策を弄して
邪魔者を排除していくことを躊躇しないサイコだった。周囲を虜にしながらも、不可解な自殺や事故が次々と起こるなか、生徒の中にも
蓮実に警戒心を抱くものがわずかにいた。ある時、自身の計略が明るみに出ると考えた蓮実はすべてを排除して隠蔽することにした。

表ではいい顔しながら、裏では盗聴、恐喝などを駆使して人を陥れながら学校生活を送る蓮実が上巻では描かれる。常に笑顔な
イメージが怖いですね。最初は蓮実に関してはあまり明かされないので、むしろ問題だらけの学校のほうが異常な印象がありました。
ネットいじめ、淫行教師、モンスターペアレント、カンニング、過去に人殺してるやつまでいるし…。普通の先生おらんのかい笑
それを対処していく蓮実がまともに見えるくらいだけれど、徐々に手段を講じない本性が描かれていく。うまく対処し切り抜けていくゲームを
楽しんでいるわけですね。下巻に入ると、人を殺しまくる殺人鬼と化した先生による殺戮ショーに…。やっぱりホラーは得意なんですねぇ、
逃がさないようにして一人ずつ迫っていくのは恐ろしく、あっという間に読み終えてしまった。生徒一人一人の名前もすべて書いてあるので
バトルロワイヤルを思い出す人多いだろう。個性もあるのでまずまず見分けられるけど、さすがに多かったかな。なんとなく読後の評価が
上がらないんだけど、怪物による殺戮ショー…以上のものがなかったからかな。さすがに無茶苦茶な理屈の部分多かったし。
サイコロボのわりに人間っぽさもあったからかな。計算高いし欲望もあるみたいだし。バカサス(5・8)ってとこでしょか。
映画化したらしい。蓮実は伊藤英明だったのか…。脳内では長谷川博己でした。
「紙魚家崩壊」 北村薫 ★★
---講談社・06年---

表題作を含む九編の短編集。「溶けていく」→OLの美咲さんがとあるコミック誌で会社の上司に
似たキャラを見つけて、それを切り取ってセリフを変えることでストレス発散をするようになる。
切り取るキャラは増えていき…という奇妙系の話。一番好き。他に、ミステリであることを探偵自身が
意識してる短編(メタっていうのかな?)が二つ。おにぎりを誰が握ったかなんてどうでもいいことを
推理するほのぼの日常の謎系が三つ。かちかち山を現代風に考え直した「新釈おとぎばなし」も
あります。「新釈おとぎばなし」以外は短いのですぐ終わる。'90〜'05までの短編をまとめたもので
いろんなものの寄せ集め。これといって面白くなかった。軽い読み物ですね。インパクSF(4・3)
「絡新婦の理」 京極夏彦 ★★★☆
---講談社文庫・96年、このミス4位---

巷間では目潰し事件が連続し木場刑事が追っていた。一方ある女学校では悪魔崇拝をし
売春まで行うグループがあり、人を呪い殺しているという噂があった。そして女学校を運営している
富豪の織作家一族…すべての事件が一つの出所に端を発しているのか。すべての祖・蜘蛛とは。

長いな。読んだ文庫版は1350Pを凌ぐぞ。辞書を持ち歩いているようなものだな、文庫なのに。
数行で説明などできないけど簡略に…いくつもの事件が起こりそこに関わるのが名家・織作家。
解決しようと調べ上げ犯人を捕まえたりしてもそれすら一連の流れから脱却できぬような事件。
もっと大きな事件が常に進んでいるような物語で、女権拡張論やら悪魔崇拝やらの思想を持った
頑迷固陋な登場人物たち。それを京極堂が博識を用いて矛盾をつき、たらたらたらたら長広舌で
惑わし憑物を落とすのであった。そして憑物を落とした背後に見えてきた蜘蛛。すべてが終わった時
物語はようやく美しい桜の木の下で中心に辿り着いたのであった〜べべべん。…そんな感じですが
これだけ長いわけだから複雑に入り組んだ構造で、精緻なのは何となくわかるんですが全体像を
把握するのが困難。広すぎて小さな齟齬があっても気づかないほど。俯瞰できてない私は既に
絡め取られているのか。しっかし長すぎた。人が死にすぎた。よく一つの方向でまとまったもんだ。
「嗤う伊右衛門」 京極夏彦 ★★★☆
---中央公論社・99年、泉鏡花文学賞、このミス7位、文春9位---

疱瘡で顔が崩れたお岩という女の元に婿入りすることになった伊右衛門。真面目な性格の
二人であったが、些細なすれ違いや謀略により別れ別れになってしまう。妹の仇を狙う直助と
悪人喜兵衛、喜兵衛に蹂躙される袖…彼らの思いが入り乱れめくるめく愛憎劇が生まれる。

四谷怪談を下地にして作者がアレンジした物語。解説によると人物像が斬新なんだそうである。
生真面目な伊右衛門と、顔が崩れても凛としているお岩が新しいのであろう。しかし原典を知らない私には
何処が斬新かわからんので普通に読んだ。主人公である伊右衛門とお岩が背筋の通った生き方なので
清々しくて好ましくスラスラ読めた。話は凄惨だし悲劇なんだけど二人の思い合う愛情が根底に見えてて
美しい悲劇という印象だ。視点を変えての心理描写で登場人物一人一人の思惑が絡み合う濃密な
ドラマに仕立て上げているのも上手いな。逆に丹念に書いてるせいでちょっと単調に思えてしまったけど。
伊右衛門とお岩以外はイマイチ興味が薄かったのも残念。でも京極作品にしては長いうんちくもなく
スッキリしてるし、他の作品と毛色が違うのでミステリの京極に手が出ない人でも読みやすいと思う。
雰囲気ある文章も良い。何より原典を知っている人なら私の知らない面白さも感じられるであろう。

「残虐記」 桐野夏生 ★★★☆
---新潮社・04年、文春6位---

一人の小説家が手記を残して失踪した。残された手記は25年前に起こった少女誘拐・
監禁事件の被害者が自分であると告げていた。一年にわたる監禁事件の秘密が明かされる。

25年後の被害者・それも手記という形を取ることで、当時の心境を客観的に冷静に分析する
ことに違和感がない。それに事件が終わった後の心境もしっかり書かれているのが特徴だ。
事件で犯人に変な事されたのか?という周りの想像への嫌悪、しかし監禁当時、楽になろうと
想像に取り付かれた自分もいた。そんな内面の煩悶をも描くので明快に理解することができない
モヤモヤ感が残る。昼は大人の男、夜は小学生に豹変する監禁者の闇、そしてその同僚との不気味な
関係性も読み所で読者を引っ張るが、これも明示されない部分があるためモヤモヤ。どうなるんだろう、
どうなったんだろう、という不気味な印象を残した。嫌な想像に巻き込まれるような終息である。
しかし作者ならもっとドップリと精神に忍び込んでくる物が書けると思うのでやや消化不良かも。
タイトルから想像する「残虐」さはなかった。
「I'm sorry.mama」 桐野夏生 ★★★★
---集英社・04年---

娼館で誰のことも知れず育ったアイ子。娼館でも疎まれ、ママの形見の靴とお話していた
児童福祉施設時代も馬鹿にされた。歪みきったまま大人になったアイ子。都合の悪い
人間は始末し、利用できるものは利用する。本能のままに悪を尽くして生きているのであった。

児童福祉施設で先生をしていた美佐江が、親子ほど年の違う教え子の稔と結婚して二十年。
一章の21ページにわたり20周年を祝っていたが焼肉屋でアイ子と会ったがために、残りのわずか
1ページで突然焼き殺されるところから物語は始まる。それを皮切りにロードノベルのごとくアイ子は
様々な人と出会い、心温まる交流…などするはずもなく放火・盗み・殺人などを繰り返していく。
何が恐ろしいって悪を悪ともほぼ思わず、躊躇なくそれが当たり前の世渡りと思っているのだ。
あえて理解できないほど純粋な悪を描いたのだろうな。面白いかどうかと言われると答えにくいけど
何が起こるか恐ろしくてなぜか繰る手が止まらない。娯楽として読むならもっと悪を爆裂させた
ラストが読みたかったかなというのが心残り。わずかに心を見せかけた本書の展開もいいけれど。
本書はアイ子以外の登場人物も生活臭たっぷりの存在感を示してくれる。ホテル女社長が
認知した愛人の子を返す返さないの意地の張り合いしたり、寝たきりになった妻の服を着てみたら
しっくりきたので女装に目覚めたジイサンなど、ちょっとしか出ないわりになんか濃い(笑)
(余談だけどホテル女社長ってアパホ○ル社長がモデルのような気が…)
「東京島」 桐野夏生 ★★★☆
---新潮社・08年、谷崎潤一郎賞---

清子が夫と流れ着いた無人島。さらに日本のフリーター、中国人らが次々と漂着した。
彼らは島を東京島、ドラム缶が放置された浜をトーカイムラなどと呼び思い思いに過ごし始める。
中年ではあるが唯一の女、清子をめぐる争い、脱出のための出し抜きなど島はそれなりに忙しい。

やはり美しい物語にはなり得なかった。もう女としての盛りが過ぎた年齢の清子が、女一人の
状況で好意的に扱われてお調子に乗っちゃうのである。しかし抜け駆けしようとしたことがバレて
今度は顔色を窺いながら、情報を隠したり中国人側についたり抜け目ないというか逞しいというか
読んでて小憎らしい女なのである。しかし本書ではそんなに目立たないかも。記憶喪失から目覚めた
GMや、全裸で海亀の甲羅を背負った嫌われ者のワタナベや、脳内の姉とお話しするマンタさんなど
強烈キャラ満載で何とも賑やかなのである。唯一の娯楽といえる清子の夫の日記を盗み読む
ワタナベの箇所はかなり笑えるほどである。どこかのんびりして見える無人島生活なのだけども
「脱出」に関しては皆本気。自分はもちろん出たいし、他の人間が出ても助けを呼んでこないの
ではないかという疑心に悩まされるのだ。実際お互いそう思ってたりするし。作者にかかると
助け合って生き延び共に脱出しよう、なんてことにはならないのである。しかしただ設定の妙で
面白いだけ、というのは物足りない感がある。バカパク(7・5)ってとこ。
「グロテスク」 桐野夏生 ★★★☆
---文藝春秋・03年、このミス5位、文春3位---

二人の街娼が相次いで殺された。二人は名門の女子校出身で、ユリコは絶世の美女と言われ
佐藤和恵は一流企業に勤めながら街娼をしていた。なぜ二人はこんな道を辿ってしまったのか。
そこには学生時代の見栄の張り合いやコンプレックスと闘い狂ってしまった姿があった。

ハーフで美女のユリコとあまり似てないらしい姉の独白で進行する物語。容姿がパッとしない
佐藤和恵と同級生のユリコの姉は、名門校であまり相手にされないのだが和恵はそれでも痛々しい
努力を続ける。ユリコの姉は幼少より妹と比べられ諦念が染みついてるから、努力する佐藤和恵を
陥れ嘲笑うことに楽しみを覚えている。高校時代ですでに存在した階級社会と容姿による劣等感が
二人の性格を捻じ曲げている。妹を「化け物」呼ばわりして佐藤和恵を「馬鹿な和恵」と蔑んでいる。
ユリコの手記で醜いはずの姉は、自分の独白では綺麗なハーフ顔なのである。ここまで読んでて
気分が重くなる小説も珍しい。他人を見下して自分の身は嘘で守る。見栄やコンプレックスが
誰かに向かう最も悪いパターンのみを何度も重ね塗りするようなグロテスクな色をした小説だ。
壊れていった和恵の厚化粧のように傍から見ると全然美しくないことが一目瞭然なのである。
特別な存在でありたい、羨望の目で見られたい、誰もが飼っている怪物が極限まで育った姿が
描かれている。全然楽しい読み物ではないが物凄い読み応えである。人間の、特に女の、嫌な部分
のみが強調されている。この黒さにインパク知(7・7)。第七章のタイトル「肉体地蔵」って(笑)。
「金閣寺に密室」 鯨統一郎 ★★★☆
---祥伝社ノンノベル・00年---

足利義満が権力をほしいままに操っていた時代。智慧者と名高い一休という小坊主が皇族の
血を引いていることを危惧した義満は、一休を貶めようと金閣寺に呼び寄せ無理難題を吹っかけた。
機転を利かせ難を逃れた一休だが、その後死んだ義満の謎を解くため再び金閣寺を訪れることに。

一休の出自や義満の死などを独自に解釈して物語に仕立て上げた作品である。登場人物も
世阿弥とか義持と有名。歴史に興味のある人なら斯波義将とかもわかるんであろうか。他人の妻を
横取りする嫌味なデブである義満(ホントなのか)が金閣寺の天辺の密室で殺された事件を
一休さんや新右衛門らが調査するのだが、意外な犯人であるとか時代に合った考え方とか
一見関係なさそうだった「このはしわたるべからず」や「屏風のトラ」など序盤に出てきた有名な
とんちも無理矢理だけど真相に絡んでくるので、本格としては無駄なくキレイにまとまってると思う。
しかしやはり歴史の人物を登場させ、少し改変させる「遊び」を楽しむ部分が多いと思うので
日本史に興味がある人にオススメだ。この時代になぞなぞの正解に「備後!」とか言うのは
ダメだろと思うが(笑)。読みやすい歴史ミステリ、バカパクの(6・5)で。
「九つの殺人メルヘン」 鯨統一郎 ★★★☆
---光文社ノベルス・01年---

工藤・山内とバーのマスターを加えた厄年トリオが、飲みながら未解決の事件の話をしていた。
するとそれを聞いていた若い女性客が、メルヘンに例えながら事件の真相を推測し始める。
これが一度ならず二度・三度とあたり…厄年トリオはますます待ち焦がれるようになったのであった。

九編の連作短編ミステリ。アリバイ関係の事件が多いですね。それを飲みながら解決していくという
安楽椅子ものとも言える話。ミステリとしてはどっかの漫画でみたようなトリックや阿呆らしいものがあって
別にすごくもない。でも三人の会話がくだらなくて笑える。会話はほとんど酔っ払いの漫才で地の文は
ツッコミみたい。「電話連絡がつかなかった」「お話し中だったのかな」「あるいはお茶漬け中だったか」
であるとか「西部劇好きだから。野球も西武ファン」「関係ねえだろ」とかそんな馬鹿な会話が延々続く。
さらに小説らしくないけれど懐かしのCMやタレントや小説の話など固有名詞が連発で、ホントに飲み屋
みたいなしょーもない会話が笑えた。四十歳くらいの人が最もツボなのかなぁ。まさに酒の肴に
ちょいと読むくらいが適当なくらいの内容。有名童話の新解釈は楽しめるし意外なオチもあるぞ。
「邂逅の森」 熊谷達也 ★★★★
---文藝春秋・04年、直木賞、山本周五郎賞---

マタギとして生きていた松橋富治は密かに繋がっていた恋仲がバレて村を追われる。
その後鉱夫として成長した富治は山への魅力を捨てきれずマタギの道へと戻る。
近代化、妻との出会い、鉱山での働き、山に生きた富治のマタギとしての運命を描く。

全編方言で綴られるので地方の雰囲気がどっぷり脳に流れ込んで濃い体験が出来る作品だ。
話は別だが坂東氏の「山妣」を思い出した。やはりマタギの生活が印象に残る。雪ばかりの山で
熊を追い込み、撃つ者は恐怖に打ち勝ちギリギリまで熊を引き寄せる。そして「勝負!」の声。
息づかいや緊迫感に痺れた。特に最終章のヌシとの対決は恐ろしかった。命を賭けた自然との
闘いにハラハラさせられるが、山に感謝して山の神を意識するマタギの心に潔さを感じてどこか
清々しい感じも受けた。本書では若い頃の恋人が現れて、実際の妻との絆が試されたりと
富治の一生として別種の面白さも兼ね備えているけど、それはそれで別として読みたかったし
マタギの部分だけもっと読みたかった。なかなかシブイ本だ。シブ知(8・5)というところか。
「スワン」 呉勝浩 ★★★★
---KADOKAWA・19年、推理作家協会賞、吉川英治文学新人賞---

大型ショッピングモールで起こった無差別銃撃事件は多くの死傷者を出した。ネットで知り合った面々による犯行であった。
多くの被害者を出したのは最上階にあるスカイラウンジ。犯人が高校生の片岡いずみを人質に次の被害者を選ばせ次々と撃ち
最後には自害した。それから半年、あの日亡くなった老婆に何があったのか明らかにしたいという目的で、弁護士により事件の
生き残り五人が集められ当日について意見を交わしあう場が設けられた。報酬もあり真実を話せばボーナスもあるらしい。
いずみ達生き残った五人は語っていない事実と思いをそれぞれに抱えていた。あの日事件の陰であったこととは…。

開始から事件当日の犯人の行動が描かれいきなり刺激的で胸くそ悪い展開である。ドン、ドン、ポイと撃っては捨てて進んでいく。
あぁ気分が悪い。しかし実際のスタートはその後の会合なのである。集められたメンバーはもちろん犯人ではない。
でも何かの罪を背負ったかのような人達。一つの事件をめぐって、事実を照らし合わせてディスカッションしていくようなミステリが
好きな人にはちょうどよい。同じ事件のことを扱ってるだけなのに、いろんな因果に悩む個人の物語が出てきてひとつずつ
明らかになっていく構成は飽きさせなくておもしろい。スカイラウンジで何が起こったのか、が最後に明らかになる時にいずみが
何を背負っているのかわかる、という演出がミステリ的。みんなが事件の当事者でみんなが後悔してる。無差別事件なんて
非常時に何ができるかなんてわからないし、やったことがどう返ってくるかなんてわからない。ただ「犯人が悪いだけ」で
いいんだよ、と思いながら読む。明るく救いのある話ではない、ジェノサイドの後に読んだから規模が小さく感じてしまって
損してる感あるけど、よくできたミステリだと思う。サスパク(8・8)
 「人間に向いてない」 黒澤いづみ ★★★★
---講談社・18年、メフィスト賞、未来屋小説大賞---

引きこもりがちな息子が一夜にして芋虫のような姿に変貌、触覚を動かし前足でドアをかしかしと引っ掻き、しゃりしゃりと
顎を鳴らす。言葉が通じているのかはわからない…。ある者は犬、ある者は植物、ある者は肉塊に人間の顔がバラバラに
ついておりドアの向こうから叫ぶ「オガァサーン、アゲデェー」、引きこもりがちな人間を中心に発生する異形性変異症候群が
日本に広がっていた。戸籍上死亡扱いの異形を家族に持ち、周囲の無理解・嫌悪にさらされ家族の苦悩は続いていく。

これはアイデアありきの一発勝負の色物なのか?気持ち悪いホラーなのか?と嫌な予感がしていたけれども
意外とおもしろかったし、ホラーでもなんでもなかった。むしろ家族小説と言ってもいいくらいかもしれない。
芋虫と化した息子・優一と、その母・美晴を主人公に描かれる異形性変異症候群の物語。突飛な設定に面食らいそうだが
変異者の扱いを実際的に描いていくのでだんだんと理解できていく。キャベツみたいなものをパリパリ食べたり、バッグに収めて
持ち運んだり、殺虫剤をかけられたら見てくれる動物病院に連れていったり、変異者の家族が集まる会へ参加したり…。
そのうち感情移入しちゃって芋虫・優一もそんなに気にならなくなった。小説なんで見た目がわからないってのもあるけど。
顔を顰めるような設定なのに、なぜおもしろかったかというと、本書は奇抜な設定を用いているけれど描いているのは
普遍的な親子の有り様、接し方というテーマだからなんだと思う。ただでさえ引きこもりがちで扱いに困っていたところに
戸籍上は死亡扱い(死なせても罪ではない)、見た目もグロテスクで人間ではなくコミュニケーションも取れないと来ている。
簡単に処分しようとする人間も多いが、そうなってなお育ててきた責任や親子の情を見つめ直すことができてくるという
母・美晴ら家族の苦悩がうまい。むしろ自分以外が敵ばかりになって、優一がもの言わぬ存在になったから今までの
ことも振り返られたのかな。そして、この妙な病気と結末をどうするのか…この救いのない状況をどうまとめるのかが
難題だったかと思うけど、優一にしても病気にしても前を向けるような違和感のないまとめ方がすごく良かったと思う。
いろいろうやむやにするかと思っていたので。読み始めと読後感が全然違うなぁ。ちょっとスッキリ感動すらした。
でも実際に家族が虫だったら…無理だわぁ。せめて人間の顔の犬、とか植物ならいいかなぁ。肉塊もちょっと…。
読んでいて日野日出志の漫画「毒虫小僧」を思い出した。あれもなかなかおもしろかった。バカシブ(8.8)
「十三回忌」 小島正樹 ★★★☆
---原書房・08年---

静岡の権力者・宇津城家。当主の妻・律子の命日に次々起こる殺人。木の上に串刺しになり
斧で首を切り取られ、唇だけが切り取られる。殺した方法さえわからず、犯人が特定されないまま
復讐の舞台は十三回忌へとうつる。海老原という一人の探偵が事件を次々と解き明かしていく。

古風ですなぁ。有力な一族の屋敷で起こる不可能犯罪と、それを傍観するしかない能天気な
警察と、ちょっと風変わりな名探偵。雰囲気は好きなんだけどベタすぎて何だかうまく乗れない。
犯行を行える人数が限られてるんだから、もうちょっと何とかしろよとか、明らかに怪しい点を
ちゃんと調べろよとか多くのツッコミどこは本格好きの度量でどうにかするとして、光る仮面だとか
壁から聞こえる声だとかいろいろな不思議を解明するところとミスディレクションもあるしミステリの
醍醐味を散りばめてあるので佳作と呼んで良いと思う。でも不可能事の真相は強引すぎるかな。
例えば手品でテーブルに置いたコインが布をかぶせてちょいと手を動かしたら数秒で消えたとする。
「あれ?どうやったん?布が怪しいなぁ」と興味がわくじゃない。で、真相を聞くとテーブルに
備え付けられた兵器により分子レベルまでバラバラになって消えたのだぁ!とか言われても
「いや、すごいけど…。それに気づけと?」ってことになるのであって驚き所が微妙に違うのである。
もちろん兵器なんて出てこないけど、仮説より真相の方が不可能ごとなのはどうなんであろうか(笑)
思わずタモリ化して「こりゃバカパク(10・2)くらい行ってんじゃないのか?」と言いたくなった。
「少年たちの密室」 古処誠二 ★★★
---講談社ノベルス・00年---

死んだクラスメイトの葬式に向かう途中の六人の高校生と担任教師は、突如起こった
東海地震によりマンションの地下に閉じ込められてしまう。救助を待つ彼ら…しかし暗闇の中で
少年の一人が瓦礫を頭部に受け死亡。事故か他殺か?他殺だとすればいったいどうやって?

密閉された空間に殺人…これぞ本格ミステリといった設定ですね。いつ出られるかわからず
諍いも生まれる状況は岡嶋二人の「そして扉が閉ざされた」を思い出した。密閉状況を生かした
疑心暗鬼の緊迫感はハラハラさせられたし、一つの事実によって事件の様相がガラリと変わる
本格の面白さがあった。 本書ではそれに加えて学校生活におけるいじめや教師の事なかれ主義を
扱っている。個人的にはこのテーマは手垢がついた感があってあまり興味がなかった。救いようのない
悪党高校生には気が重くなるだけだ。とても緻密にできたミステリなのは確かだが、過去の事件とも
交わるややこしさとストーリーの重苦しさで読後はあまりスッキリしなかったし、戦争ものを書く作者を
知っているだけに本書はつまらない。でも巧緻な本格ミステリが好きな人にはオススメだろう。

「未完成」 古処誠二 ★★★★
---講談社ノベルス・01年---

種子島西にある孤島にある自衛隊分屯地を訪れた防衛庁調査班の朝香二尉と相棒の野上三曹。
閉ざされた射撃場でふと目を離した隙に小銃が一丁消え失せたという事件が今回の調査任務。
内部の人間が射撃場の外に投げたと思われる銃だが、外にもない…外部の者が協力者なのだろうか。

「UNKNOWN」シリーズ二作目。今回も自衛隊なので舞台も登場人物も肩肘張った感じで地味ではあるが
主人公二人はわりと明るいので軽く読める。本書はミステリなので謎解きの論理を楽しむことが主眼だが
私にはやはり自衛隊という環境が面白い。どういう訓練をしているのかや気構えや気苦労などの描写は
本当っぽいし、語られる逸話など知れば知るほど自衛隊が好きになっていくようです。何よりビシッとした
緊張感が支配してる空気は本書でしか味わえない。背筋の伸びた気持ちのいい人物が多く登場するのも
魅力の一つだね。朝香&野上コンビもすごく気に入ったしこのシリーズは続編も読みたいなぁ。
本格ミステリとしても自衛隊独特の環境下(射撃練習)という特殊性で読ませ、動機も陳腐ではなく
硬派なテーマを含んでいて良い作品だと思う。「UNKNOWN」が好きな人だったら本書もオススメだ。

「分岐点」 古処誠二 ★★★★+
---双葉社・03年---

第二次大戦末期、軍により苛酷な状況下で労働させられる中学生達。日本の状況が切迫する中、対馬智は
何とか一日一日を乗り越えるだけ。しかし同級の成瀬憲之は日本が鬼畜米英を倒すことを信じて疑わない。
互いが互いの思考を理解できず反目しながら過ごす。この対立は兵隊の間でも起こっていた。

お得意の戦争小説だ。今回描かれたのは大戦末期の日本における国民総動員の抵抗の姿であり
日本人の心理でもある。報道では日本が威勢の良い戦況と叱咤の声があり、しかしそれを誰もが
信じなくなった現実がある。大戦末期の内側からも崩れ始めた日本の姿が痛々しく描かれていた。
「国のために闘う」「いやもう無意味だ」どちらか一方の思惑に同調する者の対比が上手い。きっと
日本人の誰しもにあった葛藤の縮図なのだろう。信じる物や知識により正義の形は変貌するのであろう。
国を信じ続けた成瀬がある種純粋に感じられるだけに悲しい。何のために闘うのかという動機すら
揺らぎ始めた人間の煩悶が重くのしかかる作品だ。戦時中の緊迫感を持つ丹念な描写には息を飲む。
「ルール」に比べ余裕があり展開も緩いが、泣かせに走らぬ背筋の通った戦争文学だ。オススメ。
「七月七日」 古処誠二 ★★★★
---集英社・04年---

通称「ショーティ」。太平洋戦争のアメリカ軍にいた語学兵の一人である。
日本人の両親を持った彼はアメリカ育ちアメリカ人としての任務についていた。日本語が
できる彼は語学兵として投降した日本兵の通訳や投降を促す役割などを行った。

本書は連作短編風になっていて、日本の血筋のアメリカ人という立場が生きたストーリーになっている。
日米どちらにせよ冷たい視線を浴びる日系アメリカ人の葛藤と、日本とアメリカの文化や考え方の相違が
細かく描かれているところが見所になっている。自殺攻撃や自決など日本の美徳やその美徳によって
生まれる強制が、日系アメリカ人という立場から客観的に描かれ悲しくも空恐ろしく感じられた。
捕虜になることすら「恥」とされ自決するなど現代を生きている自分にはわからない。そういう意味では
読者の視点はショーティと同じなのだろう。
テーマがいろいろあって散らばって思えた点と感傷的なラスト
以外は全体的にドライに書きすぎてるところが好きじゃなくて惜しい。死や殺害がそこら中で起こるのが
戦争とはいえ、すぐ引き金を引いたりあまりドライに書かれても複雑な気持ちになってしまうよ。横山秀夫の
警察小説と同じようにいろいろな角度から描く彼の戦争小説は職人芸になりつつある。今後も注目だ。
「遮断」 古処誠二 ★★★★
---新潮社・05年---

太平洋戦争末期・沖縄。アメリカが勝つことに賭けた真市は日本軍から逃亡、防空壕に残してきた
自分の赤ん坊が生きていると信じる幼馴染チヨと共に米軍のいる北へと向かった。途中、腕と足を
負傷した日本兵と遭遇し、行動を共にすることになる。三者三様、北上の末に辿り着いた結末は---。

今回も戦争中における丸裸の人間が描かれた。舞台は切羽詰まった沖縄、少ない防空壕を
守るために危険因子となる誰かを放り出す選択をしなければならず、生き延びても誰かを犠牲にする
責め苦を味わうことになる。どちらにせよ救われないジレンマは精神面での葛藤でも同様だった。
「君に忠、親に孝」を実践するため米軍に立ち向かう少尉と、その思想が理解できず日本軍に対する
不信を募らせる真市。最後まで相反する二人だが、部分的に理解していたのだろう。本来なら大手を
振って故郷に帰りたい少尉と生きることが恥になる後ろめたさを背負った真市、互いに憂いと羨望が
混ざった対立に感じた。「お前のおかげだが感謝はしない。米軍の情けに甘える無節操を俺は絶対に
許せない」「俺も少尉のおかげでここまで来られたと思っています。けど感謝はしません。案内の名目で
百姓を盾にしてきた軍人になど、死んでも礼は言いません」当時はどちらも正しくて、どちらを選ぶにも
勇気がいるんだろうな。私にはむしろ少尉の方が男らしく思える程だった。今回も作者には戦時中の
日本の八方ふさがりな状況を感じさせられた。戦後の真市の生き方、最後の一文に胸が塞がった。
「敵影」 古処誠二 ★★★☆
---新潮社・07年---

終戦前日、沖縄にある捕虜収容所。義宗は陸軍病院で世話になった女学生ミヨと、阿賀野という男を
探していた。収容所では誰かの仇討ちや、自ら投降した元上司の吊るし上げなどが起こっていた。
捕虜という身でどこに向けていいかわからない憤怒は常に矛先を探していた。そして終戦が告げられる。

様々な人物の角度で見た戦争を描いてきた作者であるが、今回は戦争が終結前後の捕虜の視点。
米軍の使役を行うとはいえ食事も与えられるし自由もある。自殺する律儀な者もいるが、捕虜である以上
外で空腹に耐え息を潜める日本兵からすれば裏切り者なのである。鬼畜米英と叫び地獄を必死で
生き抜いた状況ならば考えられなかったことが、捕虜として終戦を迎えると考えられるようになる。
ある捕虜は乾パンばかりの毎日に子供から兵だからと甘藷をもらっておいて生き延びている自分に対し
「住民に合わせる顔がない」という。これが彼にとっての敗戦。しかしそこまでの苦悩は見せず割り切って
次を考えているものもいる。収容所は全体的に常に日本兵であろうとする精神と、捕虜という現実との
ギャップへの戸惑いが漂う場所だったのだろうな、とこの二人が象徴しているように思えた。そして終盤で
通訳の二世が義宗に見せた光景は確かな現実である。あの光景は日本兵にとって敵の影が姿を消す
特効薬になったであろうか。それとも空しさを感じるだけの劇薬だったであろうか。本書の収容所では
柔道VSボクシングが行われたりと戦争から少し離れた位置の余裕があるため前作までの緊迫感はない。
物足りないかもしれないけど今回も善と悪では説明しきれない複雑な胸の内を巧みに切り取っていたと思う。
離れたが故の別種の苦しみや悩みがある。これも紛れもない戦争小説であると思った。
「メフェナーボウンのつどう道」 古処誠二 ★★★☆
---文藝春秋・08年---

戦況の悪化によりビルマはラングーンの兵站病院はモールメンまで撤退することになった。
しかし撤退の途中で一人の看護婦が姿を消した。放置された怪我人を救いに行ったと思われた。
手負いの兵と看護婦とビルマ人のマイチャン…理想と現実の境で揺れる撤退道は続いていく。

戦争という特殊状況を舞台として使用し人間の本質を描く定番となりつつある戦争小説だ。
人間には本音と建前が存在してそれが切羽詰まるほどに建前だけでは表面を成立させるのが
難しくなるものである。兵は足手まといより死を望み、病院に到着し気が緩み死んでしまう兵隊の
ために看護婦は兵隊を罵倒するが、逃げるために赤十字のブローチを隠す。看護婦や感情や
人道など常にその時点で正しいと思える仮面をつけている人間達は時にそれが軋轢の種になり
仮面をつけていること自体に腹を立てたり恥じ入ったりする。常に建前や理想の仮面を被ろうとする
静子は立派な看護婦だろうと思う。でも率直なマイチャンと対比した時にその差異が際立つのである。
喧嘩してしまう二人だけど、本当は互いのために仮面をつけていることはわかっていたはず。
善を見て悪を見ないビルマ人も神仏混合の日本人もいろんな顔を使い分けている。本当の顔が
どれかということではないし、仮面を使い分けるのが人間なんだろうね。相変わらずシブいテーマだ。
本書は少しエンタメとしては起伏に欠けるかもしれない。…だからダメってことじゃなくって
人の心という難解なものを一つの角度で切り取った意味のある読書だったと思う。
「線」 古処誠二 ★★★★+
---角川書店・09年---

太平洋戦争末期、パプアニューギニアで日本兵は空腹や病気に喘いでいた。先の見えない
戦いや逃避行。米や弾薬を運ぶ兵站の任に就く者を中心に、霞んできた目的意識と組織への忠実は
仲間内での不信や己に対する懐疑を招く。揺れる兵の姿を描いた作者初の九編の短編小説。

太平洋戦争での一個人を描く作者は、一場面をドライに切り取って苦悩を描ける短編が結構
向いているのではないかと本書を読んで思った。生きるための倫理が顔を出すのが当然の戦況で
軍隊としての倫理を捨てきれない下士官の感じた恐怖を描いた「下士官」、マラリアに罹りセブリという
天幕の宿にいた病兵が現地人に馬を調達してもらおうと頼むが、必要な現地人を病兵ごときが
使うなと将校に罵倒される「病兵の宿」、輸送のため酷使された馬・金月号が力尽き倒れてしまった。
金月号への愛情は、最後に乗せていた歩兵への怒りとなる。金月号との別れを描いた「たてがみ」。
中でも激シブが「お守り」だ。耐え難い激戦に疲れきっている長谷川という兵が、久岡というミスを犯す兵に
憤りを覚える話だ。何かを尊ぶことさえバカらしい状況でお守りに祈ったりする久岡に苛立つ長谷川が
上官にお前は卑しいのだと告げられる物語だ。思わぬ形で先に死んだ久岡の死体とお守りに出会った
長谷川の胸中が、極限で生きた者の重さを感じさせた。どの短編にも、倫理のぶつかり合いがある。
しかし戦場で彼らはそれを享受し、諦め、可能性がなくても歩き出すのだ。一見ドライで、ビターに
思える内容かもしれない。しかしそこに熱い必死な生きる魂が見える。シブ知(10・6)
「いくさの底」 古処誠二 ★★★★
---KADOKAWA・17年、このミス5位---

大戦中のビルマで賀川少尉率いる日本軍警備隊はヤムオイという村へやってきた。重慶軍を牽制するため駐屯を始めた。
村人達にも顔が利く賀川少尉だったが厠へ出た際に殺害される。村人の私怨によるものか、重慶軍の襲撃か、それとも
軍内部の誰かなのか。少尉の死を伏せたまま駐屯を続けるも、またも村で殺人が起こってしまう。不信や恐怖はあるが
外部の襲撃なら協力も必要…村と警備隊がぎくしゃくする中、軍の本部から派遣された副官が調査を始めた。

戦地という状況下での人間ドラマを描いたお馴染みの作者だが、ミステリーとして扱われることはあまりなく、独自の道を
歩んでいるように感じていたが、本書は珍しく「このミス」で5位に入っていた。読んでみると確かにミステリ色が強かった。
即席の隊の行軍や、村との交流など作者らしかったが、早々と見張りがいる中で殺人が起こって「誰が」「なぜ」の部分が
ずっと物語の中心だったのでいかにもミステリ。村を思う村長や助役、軍人としての立場、重慶軍側、一つの村を舞台に
いろいろな立ち位置で想像できる。どの立場から考えてもどうしてこのタイミングで少尉が死なねばならないのか、
腑に落ちない状況が続く。しかしその「誰が」「なぜ」の答えが戦争という状況だからこその理由に基づいているのが
作者らしさ。犯人の正体こそが戦争における深い闇である。こいつが何者なのかは読んでいただきたいところ。
ミステリーとして評価されたのはいいけど、個人的には普段のほうが好きかな。犯人のドラマに驚きと深みを持たせて
ミステリ風になった結果、ちょっと現実では無理がある気も…。もっとシンプルでも十分おもしろいよ。シブパク(8・8)
「ねむりねずみ」 近藤史恵 ★★☆
---東京創元社・94年---

歌舞伎役者・中村銀弥は言葉が頭から消えていくという症状を訴えていた。妻も心配するのだが
ついには声が出なくなってしまう…。一方私立探偵・今泉は以前に歌舞伎公演中に起こった
殺人事件を調べていた。大学の同級である大部屋俳優・小菊も調査に加わるのであった。

う〜ん、あんまり好きじゃない。歌舞伎シリーズのたぶん最初。事件が起こるミステリであり
もちろん真相にも歌舞伎が絡んでくるタイプである。何が好きじゃなかったかというと昼ドラなところだ。
登場人物の多くが愛だの不倫だのでバタバタしちゃうわけである。それが昼ドラの愛憎劇っぽく
堕してしまったようで好きになれなかった。事件の真相もその延長のようで私にはつまらなかった。
歌舞伎に絡めてもうひとひねりあるラストだが、ん〜別に…読後感まで悪くなってしまったような…。
そこまでやるかね普通。しかし振り返ってみればこの事件自体が歌舞伎の舞台の上で行われたような
芝居風の雰囲気があるので好きな人は多いんだろうな。歌舞伎界を描いているがあまり内幕までは
描かれなかった点は残念。先に読んだ「二人道成寺」のほうが踏み込んでた気がする、たぶんだけど。
ってなわけで私はイマイチだったのだが唯一気に入ったのがワトソン役の小菊ちゃんである。
普段から女言葉を使う女形の小菊ちゃん(←男)と探偵のかけあいなどは何だかすごく可笑しい。

「二人道成寺」 近藤史恵 ★★★
---文藝春秋・04年---

歌舞伎の女形に岩井芙蓉と中村国蔵という二人がいた。同年齢だが女形としては正反対の
彼らはあまり口を聞かず仲が悪いと噂されていた。三ヶ月前に起きた芙蓉の妻が重体になった
火事についても国蔵は芙蓉が怪しいと思っているようだった。

歌舞伎界を舞台にした物語です。芙蓉の家が火事になる前と現在とが交互に描かれ、火事の真相と
その裏にあるものが浮かび上がるという手法。見せ方はミステリなんですが結末も大体予想がつくし
狭い関係内でこじんまりと終わってるし満足感は薄い。むしろ見所は恋愛の機微であると言った方が
しっくりくるかな。演目の登場人物に例えるなど歌舞伎界と絡めつつ心の有り様を描いている
部分が多かった。恋愛部分が多いのは個人的には興味をそそられなかったし「好きになって
しまったんだもの」とか昼ドラっぽい雰囲気もたまにあって苦手だった。女性には受けるのかな。
しかし歌舞伎独特の芸の世界を書くのはとても上手だと思う。未読ですが歌舞伎シリーズは過去に
三作あり手馴れているのかもしれないが、内部の人間の視点も嘘っぽくないし内部事情など
知らない世界が感じられるのは嬉しい。ストーリーにもっと興味が持てたらよかったんだけど…。

「サクリファイス」 近藤史恵 ★★★★☆
---新潮社・07年、大藪春彦賞、このミス7位、文春5位---

ロードレースチームに籍を置く僕、チームには期待の若手の伊庭や、エースの石尾さんがいる。
誰かがアシストしエースを勝たせることの多い競技で、アシストの僕は展開のせいで区間トップを取る。
総合トップも狙える位置にいたが、そんな時に嫌な噂を聞く。エースの石尾さんは成長株の若手に対し
故意に事故を起こし潰したという噂である。そんな噂を気にしながら次の区間の日を迎えるのだが。

おもしろーい!これだけ薄い本なのに中身が詰まってる。まずあまり知られてないロードレースの
魅力が味わえる。空気抵抗を受ける先頭は敵であっても代わりながら走る。チームエースの
自転車がトラブルを起こせばアシストは片輪だけ差し出してエースを走らせる。アシストという
役割があるのだ。そして山に強いエースと、負けん気の強いスプリンター系の若手と、アシストという
役割が好きな僕、レース中のチーム内の緊張感がまた良い。何よりもスポーツに打ち込む人間の
男気というか清々しい感じがいいですね。レース展開の面白さだけでも読めるのにわざと事故を
起こしたのではないかという疑惑が現れて、不可解な事故も起こる。その真相にまた驚かされる。
物語の印象をガラリと変えてしまうほどの驚き。という以上は言えないけれども、無駄がないので
読みやすい上に競技と心理とミステリ、どこを取ってもおいしい一冊。サスパク(9・8)だっ!

「隠蔽捜査」 今野敏 ★★★★☆
---新潮社・05年、吉川英治文学新人賞---

「現場は何もわかっちゃいない!」変人と呼ばれるほどの堅物であるキャリア官僚の竜崎は
巷で起こった連続殺人事件と家庭内の問題の二点に対して、国を守るため、国を守る警察を
守るために最善の策を考えていた。隠蔽か、公表か。キャリアとしての正義とは何なのか?

ドラマや小説では何かと悪役の多いキャリアだが竜崎一味も二味も違う。本書は事件自体の捜査ではなく
それに伴う仕事がメイン。マスコミ対策が主で官僚各ポストとの連絡、時には軋轢・折衝など横山秀夫に
通ずる警察小説のお堅さもあるが、竜崎の変人っぷりがそこに可笑しさを加えている。東大以外は
大学じゃない、官僚は役所仕事じゃない、正しいものは常に正しい、選ばれたエリートだから死ぬ覚悟で
国を運営するのだ…まさに筋金入りの「キャリア」。打算や逃げなど一切無し!建前や理屈を堂々と
貫き、正しいと思うことをやるのが当たり前だと思い込んでいるのである。一般からズレてて変人扱い
されているけど一本筋が通っている竜崎が魅力的。昔いじめられていた(らしい)同期の伊丹が最高の
コンビだった。竜崎は子供みたいに根に持ってるけどなんだかんだ仲が良いんだもんなぁ。融通がきかない
偏屈官僚で父親としてはどうなのかと思うがクソ真面目に正義ばかり考えている竜崎はやっぱり愛すべき
キャラクターなのであった。ガンバレ竜崎と応援したくなる。オススメ。バカサス(10・7)を進呈!
「果断-隠蔽捜査2-」 今野敏 ★★★★☆
---新潮社・07年---

降格人事により署長を任された竜崎、管内で強盗事件に続き立てこもり事件が起こった。指揮本部を
伊丹に任せて現場に向かい指示をすることが効率的と判断した竜崎は、強硬手段のSATか交渉主体の
SITか現場は揺れる。しかし今日も竜崎は縄張り争いなど関係なく正しいと思われる選択をし続けていた。

第二弾もおかしい〜!「現場は何もわかっちゃいない!」と言っていた竜崎だが、降格して現場に近い
存在になったが、理屈キャラは健在であった。“理屈以外に何があるというのだ。理屈が通っていれば
それでいいではないか”建前や理屈がそのまま本音で、キャリアとか現場とかでなくその立場なら立場で
無駄の無い正しいことをするだけなのだ。面子を潰されたと本庁の人間が怒鳴り込んできても一蹴。
萎縮する者には「時間の無駄だし意味が無い。それを言ってなぜ悪い」と本気で思う竜崎。検挙されれば
どこでもいいという道理だ。相手の役職がなんであれ、時にPTAであってもブレない。カッコよすぎだ!
もう一面家庭での竜崎がまた良い。妻が倒れるのであるが、いつも国のために全力で働くので家のことが
まるでわからず困るし、某有名アニメを見て感銘してる。真面目すぎて警察のこと以外は知らないし
考え方が固まっててズレてる。その考え方を読んでるだけで笑えた。ラストの妻との会話は最高であった。
…とキャラの面白さばかりではない。立てこもり事件におけるSITやSATの存在や警察内部の葛藤、
突入時の状況などでマスコミに叩かれたりと警察小説としての迫力もあるおいしい一冊だ。

「疑心-隠蔽捜査3-」 今野敏 ★★★★
---新潮社・09年---

米大統領を迎えるにあたり警護の指揮を託された竜崎だが、女性キャリアの畠山を秘書官に
つけられてから畠山が気になっている自分に気づく。大統領訪日まであと一週間と少し。シークレット
サービスも乗り込んできた。防犯カメラには不審人物が発見される。竜崎は論理的な判断ができるのか。

ダメじゃん竜崎!正しいことが正しい、っつって我が道を行くキャリアに「ステキ〜」と楽しむのが
このシリーズなのに。理屈を超えた感情にうつつを抜かす腰抜けだったのかいっアンタは。
ってなわけで変人・竜崎の魅力減でしたな。逆にそんな竜崎がおもしろいって人もいるだろうが。
真剣に悩んで伊丹に相談するって…もはや竜崎じゃないじゃん(笑) でもシークレットサービスや
優秀なんだけど偏屈な部下・戸高とのやり取りは結構楽しい。終盤になってキレが戻ってきて
ステキ竜崎に痺れましたけれども、物足りない。でもシリーズものの強みか楽しめましたけどね…。
物語の構造も今回は簡略というか定番っぽい。竜崎のキャラで引っ張りつつも不審人物の
洗い出しがメイン。シンプルな構成。シリーズファンとしておまけで星四つ。バカパク(7・4)