※このページは辻村深月の小説「名前探しの放課後」のネタバレ作品解説です。
解説の都合上、同作者の「ぼくのメジャースプーン」についても触れています。
楽しみが無くなりますので読んでない人は当ページは絶対に見ないように。



すべてはジャスコの屋上で--辻村深月「名前探しの放課後」--
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  さてさて今回の物語。タイムスリップがもとで知った暗い未来を変えようと高校生達が三ヶ月前から奮闘し
  様々なことを乗り越えていく物語である…と見せといて意外な落としどころが現れるのだ。
  お前らは天才演劇集団かと。バレるわと。…まぁ作品のあり得なさの賛否は今は脇に置いといてですね。
  作者の作品『ぼくのメジャースプーン(以下・ぼくメジャ)』を知っているか否かで結末の理解の仕方が
  変わってくるわけです。えっそういうの詐欺じゃないかと。…とりあえずそれの賛否もおいといて。

  『ぼくメジャ』を知らないで読み終えた場合。
  それはそれで楽しめることに変わりはない。タイムスリップは実際に起こったと思ういつかくんは
  以前の未来で死ぬ間際だったあすなの祖父が「これから暗い闇に飛び込む孫をこの世界に
  繋ぎ止めて欲しい(P309)」といつかに託したのではないか。そう考えた。あぁなるほどええ話やないか。
  でもエピローグで秀人が「まさかかかってしまうとは」という能力者めいた言葉を口にするわけである。
  前半で語られていたタイムスリップを引き起こす能力でもあったのかな?と読者は思う。
  でも唐突にそう言われても、どっちが真実かわからなくて困惑してしまった人もいたのではないか。
  おまけにそれまで登場しなかった椿さんの名前・椿史緒(ふみお)が意味ありげに登場するものだから
  何なのかしら?何なのかしら?と思っていまこのページを見ているかもしれない。


  実はこれ『ぼくメジャ』に登場する人物であり能力なのである。
  だから未読の人はいくら考えてもその先のオマケネタバレはわからない。
  こういうのってちょっと駄目なんじゃないのと思いつつ知ってる人間からすると嬉しいのです。
  『ぼくメジャ』をこれから読む予定の人は、ここから読まないで帰宅して欲しいのだけれども
  知っておかねば気になって夜も眠れない人や『ぼくメジャ』読んだのにどんなだったか忘れちゃったよ〜
  という人向きに自分のおさらいも兼ねてちょっくら説明しますね。

  『ぼくのメジャースプーン』を既読の人が読み終えた場合。
  まず椿史緒と出た時点でどっひゃー!秀人と椿って『ぼくメジャ』のぼくとふみちゃんなのかよっ!と
  驚いたことでしょう。たまたま『ぼくメジャ』が好きだった私はニヤニヤしてしまいました。
  ってことは下巻のP217で秀人といた昔の恩師ってのは…などと想像が膨らむわけである。
  とそれは全然結末には関係ないのだが、問題は秀人がいう能力者っぽい発言である。
  これは『ぼくメジャ』に登場する「条件ゲーム提示能力」というもの。
  相手の潜在能力を引き出す能力であるこれは「もしAをしなければ、Bが起きる」と言うことで
  Bという結果を恐れて無意識にAをしてしまう…と簡単にいえばそういう能力なのである。
  そこで『名前探しの放課後』のエピローグに戻って秀人のセリフを見てみましょう。
  「---たとえばさ。今から三ヵ月後。自分が本当に気になってる女の子が死ぬって仮定してみてよ。
  そうしたら、自然と誰か思い当たらない?そういうのがないならいつかくんの人生はすごく寂しいよ」
  これで条件ゲーム提示能力が久方ぶりに発動したならば、いつかは人生が寂しいのが嫌で無意識に
  「自分の好きな誰かが死ぬと仮定した」ということになる。つまり自分が想像した未来を旅したかもしれない。


  で、結局タイムスリップはしたの?
  『ぼくメジャ』未読の人は、あすなの祖父がいつかに託したタイムスリップかもしれないし
  よくわからないけど秀人の能力かなんかでタイムスリップしたのかも?という感じかな。
  どっちにしろタイムスリップしたと考えざるを得ませんよねぇ。たぶん。
  『ぼくメジャ』既読の人は、あれはタイムスリップではなくジャスコの屋上で秀人が発動させた
  「条件ゲーム提示能力」による仮想未来ではないか。だから子供の名前も違うし齟齬が少しあったのだと。
  だからあすながいった「私、死ななかったと思うよ(P336)」も正しかったのかもしれないと思う。
  こういっては元も子もないけど河野のいう「師匠の妄想」だったというのも的を射てたりして…。
  でもね。あすなの祖父が病気だったというのはいつかの想像にしてはやけに現実に近い符合点ですよね。
  単なる偶然といえばそうなんだけどさ。ひょっとしたさ、秀人の能力にあすなの祖父によるタイムスリップも
  乗っかったなんてことがあったのかもしれない。そう思うことが一番キレイな結末だって、そう思うな。
  …そうじゃなきゃ元からおじいちゃん死ななかったんじゃないのかって思えて病室での場面が馬鹿らしくなるじゃん。

  最後に愚痴らせて
  それにしても大掛かりでありえない真相。普通どっかでばれるだろう。
  あんだけ必死にやって目的が届けるだけかよっていうね。やりすぎ感が満載だったけどでも驚いた。
  でもやっぱり『ぼくメジャ』知らないと醍醐味が味わえないのは反則じゃないかなぁなんて思いますね。
  ピアノマンの郁也は「凍りのくじら」に出てたりと本書でもリンクがあるようですね。そこはもう自分にはわかりません(汗)


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